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漫画化家道コラム
第57話:両面思考でコロナを超える!

世界中をパニックに陥れた「新型コロナ感染症」の発生から満2年が経過し、3年目に突入しました。新しい変異株「オミクロン」が猛威を振るい、ここ鹿児島でもまん防が3月6日まで適用され、ようやく昨日解除されました。

これまで、本コラムではコロナについてほとんど取り上げてきませんでした。本コラムが「表現力向上」をテーマとしているだけに、場違いな印象が否めなかったためです。しかし、今回はあえて真正面からこのテーマを取り上げることにしました。

新型コロナへの向き合い方と、自己表現、企業のブランド化とは無関係ではないと思えたからです。コロナをどう捉えるか、コロナによる社会の変化をどう自社と結びつけるかはマーケティングの観点からも大いに関係あると思えたからです。

私の今回の主張に対して賛否両論あることは百も承知。どんな否定的な意見だって受け取ります。しかし、延々とした不毛な議論は続けるつもりはありません。こういう考え方もあると受け取っていただければ幸いです。

すべて両面で成り立つ社会

世の中の構造を見てみるとすべて「両面」で成り立っています。

上下
左右
縦横
表裏
新旧
攻守
高低
遠近
軽重etc.・・・

どちらか片方だけが存在することはありません。表が無くなれば裏も無くなります。紙幣の表面を削っていった先に表面が無くなると同時に裏も消えている…。これは世の道理であり、動かしようのない事実です。

こうした道理の中にあって、現在世の中は「コロナ」一辺倒となっています。コロナだけを見て他のことには触れない。果たしてこれでいいのでしょうか?

こんなこともありました。昨年の第5波のとき、医療がひっ迫しコロナ以外の重篤な患者がたらい回しにされた挙句、命を落とす事例が数多くありました。軽症、中等症の方でベッドがふさがっていたため治療が受けられなかった。という悲劇です。

何もこの世の中、コロナだけが病気ではない…。にもかかわらず、今国民の多くがコロナ恐怖症でこのような結果を招いているような気がしてなりません。

コロナ“対応”で救った命の反対側にコロナ“対応”で救えなかった命も多数あったことを忘れてはなりません。事業所の倒産や学業を全うできない疎外感から自殺に至った貴重な命もありました。

また、老人福祉施設でまるで刑務所の中にいるようなアクリル板で仕切られた中で、隣の人と会話もできない、家族とも会えない、職員の笑顔もわからない中で食事をする。

こうした環境でお年寄りの楽しみを奪うって正しい選択なのでしょうか?あと何十年も生きられる可能性が低いにも関わらず、です。もちろん、長生きしてもらうことは当然ですが、要はバランスです。

生きる希望、心安らかな老後を送ってもらって人生の最期を迎える、こうしたこととバランスを保ちながら暮らすのがベストでは?と思うのです。

こうしたすべてを俯瞰し、トータルで物事を見ていかないといけないのに「コロナ」だけに目を奪われてしまっている現実に歯がゆい思いがしてなりません。

幸い、最近ではこうした考えを持つ人が増えている感があります。ネット上での情報に目立つようになってきました。しかし、以前としてまだまだ社会は「委縮」したままです。その最大原因は

 

「社会的恐怖」

 

です。コロナに罹患した、クラスターを出したというだけで相当なバッシングを受ける現状から徹底した守りに入るという状況です。まさに、

 

コロナより怖い社会の目

 

です。これは、欧米と比べて我が国特有のものかもしれません。それは「農耕社会」でムラを形成してきた我が国の成り立ちとリンクしているように思えます。

しかし、いつまでもこのことに捉われていれば世界の潮流から取り残されてしまいます。ヨーロッパなどでは「ゼロコロナ」から「ウィズコロナ」、コロナとの共生を目指して日々の活動を元に戻す状況になっています。

日本人の特性である、義理人情、勤勉、もてなしの心など誇るべきものは残しつつ、世界と伍して生き抜くためにはグローバル基準も取り入れつつやっていかなければ、昨今言われる日本の地盤低下、国力低下は補えません。

 

数学的思考で考える

 

さて、デザインや広告など主にアートな分野で活動してきた私はどうも論理的思考、数学的思考が苦手でした。このデザインは「バランスが良い、キャッチコピーが良い、色の使い方が良い」といったことを直感的に判断し

何となくいい

という世界で生きてきました。その良い理由をキチンと数字や理論で説明するのが難しい分野だと思ってきました。「良いものは良いんだ」の感覚しかありません。つまり、情緒的な世界に生きていたわけです。

しかし、そんな私が最近ハマっているのが

 

論理的に考えて情緒的に仕上げる

 

というスタンスです。

そもそも、私たちはメディア等で発表されるコロナの死者数に敏感に反応しています。しかし、考えてみれば一日に日本では平均して3,000人の方が亡くなっていますし、その内訳を細かく分析したことがない方がほとんどでしょう。それにもかかわらず過剰に恐れる。何か変だと思いませんか?

令和2年6月8日付けで厚生労働省から各都道府県に通知された内容に、『コロナの陽性者で入院中・療養中に亡くなった方については、厳密な死因を問わず「死亡者数」として全数を公表すること』とあります。ここからコロナ死に関しては死亡者数、死亡率ともに実質的には相当数水増しされているものと読み取る必要があります。

 

これこそが論理的、科学的、数学的に読み取ることと言えるのです。その他、根拠としてあげたい数値データは山ほどありますが、紙面の都合で割愛します。

 

メディアの情報を読み解く力

 

両面思考に関連して、メディアの情報をどう捉えるか?も大変大きなファクターです。今回のコロナ禍において、特に「ワイドショー」をはじめとしてコロナに関する報道が偏っている、あおり過ぎという批判が結構寄せられていました。特に中高年者にとってはテレビや新聞がもっとも身近なメディアであるため、この情報に振り回された事例が多かったように思います。

しかし、よく考えてみればメディアからもたらされる情報を正しく読み取るのは受け手側の責任でもあるわけです。どういうことか? メディアは

希少価値・希少情報の発信

 

が本分だということです。つまり、世の中に100件の家があるとします。このうち1件が火事になったからニュースになるのであり、99件が火事で焼失したら残った1件が今度はニュースになるのです。

たしかに、今回のコロナで500万人近くの人が罹患し、22,000弱の方がお亡くなりになっている事実は重いです。希少な情報ではないと言えます。しかし、極論ですが、このまま永遠にコロナの感染者が増え続けていくと、その先ニュースになるのは

 

最後までコロナにかからなかった人

 

です。希少な事例をニュースにする。メディアはそういう性質なのです。基礎疾患のある方、高齢者の方、こうしたリスクのある人はコロナだけではなく、ただの風邪でも重症化する可能性があるのですから、この冬の時期はより一層慎重に行動する、周りも配慮する、しかし、その他の層は気をつけながらも日常の行動に戻していく。こうした報道をメディアにも期待します。

要は、この冬場は血圧の高騰や血管の収縮により亡くなるお年寄りが多いとい過去データと比較してどうなのか?などを見てメディアの情報を正しく読み取る工夫が私たち市民の側にも求められています。

リーダーの覚悟

さて、最後はリーダーとしての覚悟について述べたいと思います。先ほども述べたように様々なイベントや特にエンターテインメント系の施設の休業などが繰り返され、本格的な経済の復活がまだまだ先になりそうな雲行きです。

そこで試されるのが

 

覚悟

 

つまり、自らの目と耳と頭で考えしかも科学的に分析した結果で中止を選択するならですが、社会から注がれる目、世間の空気を最大の理由とする。その結果、イベントや会合を中止する。

これは極論かもしれませんが、科学的な根拠ではなく「世間から叩かれたらどうしよう」という自己保存に根差しているのかもしれません。そこで、必要なことが「覚悟」なのでしょう。しっかりとした感染対策を施したうえで実行する気概。これがいま求められているのかもしれません。

かくいう私も人さまに誇れるような人間ではありません。先日開幕した鹿児島をテーマにしたマンガコンテスト「かごしま漫画クロデミー賞」の表彰式を中止し、展示会のみのイベントにしました。そんな私がこのような偉そうなことなどいえた身分ではないのですが、自省をこめて「表彰式」は実施すべきだったと後悔しています。

もちろん、こちら事務局の体制が整っていなかった理由はあるにせよ、万全を期して実施する手立てもあったのではないかと今思うのです。今後の糧としてまいります。

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